七夕の節句
たなばたと読むのは古事記にもある神衣を織る棚機女(たなばたつめ)によるものです。
これに、夫婦仲が良すぎて仕事が手につかなくなった織女(和名:織姫こと座のベガ)と牽牛(和名:彦星わし座のアルタイル)が帝の怒りを買い天の川によって引き裂かれ一年に一度七夕にだけ会うことが許されたという伝説と、裁縫や書道の上達を願う乞巧奠が中国より伝わり結びつきました。
願い事を書く短冊や織り糸を表す吹流しは陰陽五行の五色で彩られ、天の川にちなみ豊漁を願う投網などと共に笹竹に飾り付けられます。
竹は成長が早いため天高く願いが届くようにとの思いが込められています。
本来は翌日笹飾りを川に流しました。天の川に辿り着くと願いが叶うと言われていたからです。
平安時代より、学芸や書道の上達を願って里芋の葉に集まった露で墨をすり梶の葉に詩歌をしたためるという風習がありました。
梶の木は和紙の原料になる楮(こうぞ)の原種で葉裏は起毛していて墨ののりが良いそうです。
また、古代中国の帝の子が死後鬼となってもたらした疫病を鎮めるため命日であるこの日に麦で作った索餅という揚げ菓子を供えたと言われています。
七夕に素麺やかりんとうを食べるのはこの菓子が起源のためです。
新暦では梅雨のためなかなか天の川を見られないのですが月遅れで行う仙台の七夕まつりなどでも会期中は曇り空が少なくないそうです。
短冊が流されるような雨を清めの雨と喜ぶ地方もあります。
七夕の雨は催涙雨と呼ばれ二人が会えた嬉し涙とまた離れなければならない悲しい涙が雨になったと言われています。
カササギが羽を広げて連なり天の川に橋をかけるという言い伝えがあり、もし雨でも二人は出会えると信じられています。
こうした水に関する夏の風習は禊(みそぎ)と結びつくもので盆を迎える行事へと繋がっていきます。