上巳の節句
雛祭りであるこの節句は、春の初めの巳の日(上巳)に水辺で禊ぎを行う中国の風習と、水で禊ぎをして穢れを移した形代を川へ流す日本の風習が結びつき、平安時代以降貴族女子のひいな(小さきもの、人形)遊びへと発展しました。
中国ではこの日曲水の宴が催されていました。曲がりくねった流水に酒盃を浮かべ、盃が自分の前を通り過ぎない内に歌を詠み酒を飲んで次に流すという趣向です。
奈良時代には日本へ伝わり日本書紀にもその記述があります。
旧暦では水が温み潮干狩り等磯開きの季節でした。
お吸い物や貝合せの蛤は、殻が一対で他のどの貝とも合わないため夫婦が添い遂げることを意味しています。
雛人形は一人に一つ、親から子へ譲ってはいけないと言われるのは人形業界の宣伝ではなく、人形流しの形代同様その子の厄を人形が身代わりに受けてくれるためです。
雛人形を飾るのは、二十四節気に合わせ立春過ぎの大安か雨水(二月十八日頃)が良いとされています。
「嫁ぐ」ことにかけて翌日すぐにしまいますが、お雛様を「お帰りになった」と後ろ向きに置き啓蟄(三月五日頃)に片付けるのも良いとされています。
雛人形は本来左上位で(雛壇を背に)左に男雛、右に女雛を置き関西では今もこの様に並んでいます。
関東では昭和天皇の御即位の御真影が国際プロトコールにならい右上位だったため雛人形もその様になったという説と、徳川家康の孫である興子内親王が後に即位し明星天皇となったため右に男雛、左に女雛と置いたのが始まりという説があります。
ひなあられにも違いが見られ、米粒大が関東風、少し大きめが関西風です。
桃の節句と呼ぶのは旧暦で桃の開花時期だったことと、西王母に由来します。
西王母は三千年に一度実をつける不老長寿の桃を管理する中国に伝わる女仙で、西遊記にも出て来ます。
三月三日が誕生日と言われていて、桃には魔除けの力があると信じられています。
桃と一緒に飾る菜の花は菜種油が取れることから、早世してこの節句をお祝い出来なかった子供にたむける蝋燭の意味も込められていました。
菱餅の由来には諸説あります。
紅白の餅に草餅を重ねた・・・宮中で新年に食べる菱葩(ひしはなびら)餅が起源・・・菱の実だけを食べ長生きした中国の仙人にあやかって・・・人身御供として小さい娘達を龍に奪われ、同じ味のする菱の実を替わりに与え救ったとうインドの仏教説話に基づいて・・・等。
菱餅は上から赤白緑と重なっています。
それぞれ桃と雪の下に萌える草木を表していて、他にも謂われや効用があります。
赤:山梔子(クチナシの実)解毒作用。疫病除け。
白:菱の実 血圧低下。子孫繁栄・清浄。
緑:本来は母子草(七草のゴギョウ)後に蓬 造血作用。香りで邪気を祓う。