節分
年中行事を知る~節分~
「季節の分かれ目」と書く通り、本来は春夏秋冬それぞれの季節が始まる前日(土用の最後の日)を節分と呼んでいました。旧暦では立春が一年の始まりであるため、立春前日(二月三日前後、二十一世紀中は二月三日のみ)を特に節分と呼び、悪い気を払い無病息災を願う日になりました。
大晦日に厄を祓う古代中国の宮廷儀式が奈良時代日本に伝わり、追儺(ついな)・鬼遣(おにやらい)という宮中行事に発展しました。現在の様に豆をまくようになったのは室町時代からで、江戸時代には庶民に広まりました。
豆は魔を滅するとも言われ霊力の宿るものとされてきました。鬼の目を魔目と言ったり、鬼の目に向けて豆をまくことから魔目まきと言ったりもします。まめ(達者)に1年過ごせますように、という意味もあります。
地域や家によって様々な違いがありますが、基本的な豆まきは、炒った大豆(炒る=鬼を射る)を一升枡か三方に入れ神棚にあげて福豆とし、節分当日の夜にその家の家長・年男(年女)・厄年の人が奥の部屋から順に最後は玄関までまきます。
窓や戸を開け大声で「鬼は外」と二回言って外へ、「福は内」と二回言って内へまきます。
鬼が入ってこないように、また福が逃げていかないように、まいたらすぐに窓や戸をピシャリと閉めます。
豆まきの後には、年取り豆と言って年齢の数+一個(数え年)の豆をいただきます。お年寄りなどたくさんの数を食べられない場合は、熱いお茶を注ぎ福豆茶としていただきます。
鬼は病や災いをキャラクター化したもので、凶方である鬼門(丑寅)にいるため、牛の角と虎の牙(虎のパンツ)で描かれています。
そんな鬼ですが「鬼は外」と嫌われるばかりではありません。鬼の付く姓の家や地名、鬼子母神など鬼を祀る寺社では「鬼は外」と言わないそうです。また成田山新勝寺で「福は内」とだけ言うのも、御本尊不動明王様の前では鬼も改心するからだそうです。
柊の枝に焼いた鰯の頭を刺して戸口などに吊るす焼嗅(やいかがし)は、柊の刺で目を刺し、鰯の臭いで鬼を追い払うためのものです。
関東では柊と豆がら(その音で追い払う)を戸口に吊るす習慣もあります。
今ではすっかりポピュラーになった恵方巻きは、江戸末期、大阪の商人が商売繁盛を願って始めたと言われています。
七福神にあやかり七種の具(かんぴょう・しいたけ・人参・ほうれんそう・きゅうり・玉子・でんぶ・うなぎ・穴子など)を海苔で福を巻き込む様に作ります。
縁を切らないよう切らずに丸ごとかじりつくことを丸かぶりと言います。その年の恵方(今年は西南西)を向き願い事をしながら、食べ終わるまで話さないでいただきます。
大豆ではなく落花生をまく地方が雪国などにありますが、大きいため後で拾いやすく掃除も楽だそうです。小さなお子様のいる家では誤飲の心配もなくおすすめの方法です。
鰯の頭を使う焼嗅も集合住宅などではゴキブリが心配かもしれません。本来は一年飾るのが習わしですが、虫が出て来る啓蟄の頃(今年は三月六日)にしまうか、代わりに玄関コーナーなどに節分の室礼飾りをするのはいかがでしょうか。
柊の枝にめざしを刺して枡に生け、鬼を追い払うあたり棒(お金をする、を連想させるのですりこぎ棒とは言わない)と鬼の面を飾り、別の枡に豆と煮干し(カタクチイワシ・マイワシ・ウルメイワシなど)を入れます。
翌日の立春には鬼の面をおたふくの面に替えると、鬼は外へ行き福が家にやってきた感じがしますし、冬の字が入っている柊を、春の字が入っている椿や春を告げる梅に替えると、春の訪れを感じさせるでしょう。